DIALOGUE

thm_vol_03
Vol.3

2012.11.06

日本テレビプロデューサー

佐藤 貴博(SATOU Takahiro)



大友啓史監督(以下監督)
「自由にやってらっしゃいますよね(笑)」
佐藤貴博氏(以下佐藤)
「そうですね(笑)ありがたいことに会社から何も言われないですね(笑)」
監督
「ツイッターとかもね。「佐藤Pです」ってキャラ化してますよね。あ、佐藤Pつぶやいてる、みたいな(笑)」
佐藤
「ハハハ。けっこう気を遣ってつぶやいてるんですよ。裏話というよりあくまで僕の主観を。でも積極的に」
監督
「俺、何かで読んだんですけど、日テレに入ったときから映画を志望なさってたとか」
佐藤
「映画を作りたいですって言って入社出来たんですが、9年間営業でした。まあ当時の日テレは本格的な映画製作はしてませんでしたけど。あの頃は自社で映画を企画製作幹事してたのはフジテレビさんくらいだと思います。2003年から日テレも本格的に自社企画製作の映画を作ろうって流れになり、ちょうどそのタイミングで僕も念願の映画事業部に異動できました。本木雅弘さん主演の『巌流島』※1が初めて末席ですがエンドロールに名前が載った作品ですね。その後、黒木瞳さん岡田准一くん共演の『東京タワー』※2をやって。それがプロデューサーデビューで、そこから数えるといま8年目ですね」
監督
「日テレの営業で、どういう仕事してらしたの?NHKって民放さんのようないわゆる営業って無いからさ、ここで民放テレビ局の営業という職務を紹介してもらおうかと(笑)NHKは職で採用されて、そのあと職の異動ってあまりないので」
佐藤
「そうか!ですよね(笑)テレビ局の営業は簡単に言えば番組のスポンサーを探す仕事です。番組を提供してもらうことで料金をいただく「タイム営業」と、スポンサーの好きな時間帯・期間にCMを流すことで料金をいただく「スポット営業」の二つがあります。いずれも広告会社との仕事も非常に多いですね。入社して最初の5年間は「スポット営業」、その後の4年間を関西支社で「タイム」と「スポット」両方の営業を経験できました。関西支社の担当エリアにはオーナー系企業がまだまだ多いので、直接クライアントの社長と本気の営業のやり取りが出来たのが、面白かったし勉強になりましたね。でもその9年間ずっと映画を志望し続けて、やっと2003年に入社10年目で異動出来ました。それでも映画事業部では一番若手の33才でした。映画界を見渡してもプロデューサーとしては、まだまだ若手でしたねー」
監督
「学生のころは”映画学生”だったんですか?」
佐藤
「映画はもちろん好きでしたけど、“映画研究会”みたいのには入ってなくて、知り合いの知り合いから紹介してもらって東宝の撮影所※3で大学時代はずっとバイトしてました。東宝映画※4で『ゴジラ』の『vsシリーズ』とかの制作進行の下っ端をやらせてもらってました。時給は凄く安かったですが(笑)。当時東宝って映画はゴジラしかつくってなかったんで、映画本編は年1回の夏にあるゴジラ本編パートの手伝いしかなかったんですよ。なので、そこからいろいろツテを辿って、東宝撮影所内のいろんな雑用もやってました。写真スタジオが当時やってた七五三撮影でウルトラマンの着ぐるみに入ったり、花見の準備※5とか(笑)当時あった大プール※6の掃除とか。東宝テレビ部の仕事も車両部とかやってました。偶然ですけど日テレ放送の「刑事貴族」※7も手伝っていて、主演の水谷豊さんのバンデン・プラス※8の運転とかもやってました(笑) そうやって東宝の人や現場の人ともいろいろ話してるうちに、映画会社だけが映画を作っているわけではないことを知って。テレビも良く観ていたので、テレビ局で作ったらもっと展開出来て面白いのかなあと思って、日テレの入社試験で「映画やりたいです」って言ったんです」
監督
「でもそしたら「映画会社行け」って言われるでしょ」
佐藤
「言われました(笑)で、「映画会社も受けてます」って(笑)でもそしたら採用してくれたんで、あ、日テレすげえとか思って入社したら営業配属で。その時は落ち込みましたけど、営業は勉強になったし、今では結構武器になってるかなと」
監督
「じゃあ結構、叩き上げですよね」
佐藤
「そうですかね・・・でも現場は大好きですね。だからプロデューサーなのに、ずっと現場に居ますねとは良く言われます(笑)。営業時代も、映画に少しでも近づくような仕事を狙ってましたね。映画に関係するスポンサーは積極的に担当を希望してました。1999年公開の『ガメラ3』のテレビスポットも僕が担当してて、かなり強力にやっちゃいました(笑)。当時角川大映のプロデューサーで、今は日活社長の佐藤直樹さんが「あれは誰がやってるんだ」って喜んでくれて、食事に誘ってくれたんです。その時「いつか一緒に映画を作ろう!」って固い握手をして。それが実は『デスノート』※9につながったんですよ」
監督
「えぇー、そうなの。いい話じゃん」
佐藤
「ハイ(笑)お互いうまくつながったね、みたいな(笑)。『デスノート』はかなりの急ピッチで撮影に入らなければならなくて、なかなか受けてくれる制作プロダクションが見つからなかったんです。当時の日活は自社企画以外の制作を受けていなかったんですが、そのタイミングで直樹さんがなんと社長になって、「やろう」と言ってくれて」
監督
「運もいいけど、ちゃんと巡りめぐってますね」
佐藤
「そうですね。映画事業部に異動できて、日テレもいよいよ自分たちで映画つくろうとなっていた時にうまくはまって。プロデューサーとして本格的な一人立ちとなる『デスノート』で藤原竜也や松山ケンイチ、戸田恵梨香とかと出会えたのも大きいですね」
監督
「営業で培ったものは力になってるんじゃないですか?」
佐藤
「ええ、営業って自社の利益だけじゃなくて、相手の会社の利益も考えなきゃ駄目なんですが、そういった複数の立場の利益を考えるっていう感覚はプロデューサーとして役立ってる気がしますね」
監督
「いま日テレさんの映画事業部って何人くらい居るんですか?」
佐藤
「僕が異動した当時は8人でしたけど、いま管理職・スタッフ入れて25人ですね。その中でプロデューサーは9人。あとはAP(アシスタントプロデューサー)的なデスク。アニメ部門も一緒になったので、アニメチームが4人。海外担当も3人居ます」
監督
「じゃあ事業部とともに育った感じだ」
佐藤
「そうですね、人数も増えましたけど、年間の公開作品も自社企画製作作品の方が多くなりましたからね。今じゃ42才の僕がチーフで、プロデューサーが全員年下になってしまって(笑)」
監督
「事業部を志望してくる学生とかも多いんじゃないの?」
佐藤
「テレビ局志望全体の傾向ですが、過酷な仕事は避けたいみたいで、現場がコワイんですかね(笑)。「企画」とか「営業」とか「事業」みたいに、クリエイティブっぽさがあるけど本気のモノ作りの現場には出なくて良さそうな部署希望が増えてるらしいんですよ。僕の映画事業部は、“事業”がついているから、そんなに現場に出なくても良くて、でもクリエイティブな感じがして、人気が上がってるだけかも(笑)」
監督
「プロデューサーや監督になりたいとかじゃないんだ(笑)」
佐藤
「監督なんかは怖い存在なんじゃないですか(笑)まぁ、学生フォーラムとかで講演したりすると、映画やりたいって子が増えているのをみるのは嬉しいですけどね」
監督
「佐藤さんはどういうジャンルの映画が好きなんですか?」
佐藤
「よく言われますし、自分でも自覚してますけど、企画がいわゆる「中二」っぽいと(笑) 誰しもが中学生の頃大好きで、大人になると卒業してしまうようなハラハラドキドキでもちょっといかがわしいような映画が好きです。 山梨県の甲府の田舎で育ってまして。娯楽が無いところで、親父に映画館に連れてってもらうのが嬉しくて。それが原体験になってます。親父の影響もありますが大好きで観ていたのは007とか。あの真っ暗な映画館って場所も好きでしたね」
監督
「僕らの世代って原体験がフィクションになってきてますよね。仮面ライダーとかテレビで始まった頃で、ルーツが書籍でなくて映像というか」
佐藤
「テレビが最初から在る環境で」
監督
「だからか、古い映像文法の人と話すとなんかちょっと面倒くさいもんね(笑)」
佐藤
「ははは、最初からテレビで育った世代ですからね」

ページ: 1 2 3 4 5 6 7

TOPへ戻る