DIALOGUE

thm_vol_02
Vol.2

2012.01.28

プロデューサー

久保田修(KUBOTA Osamu)



本日、監督の部屋に遊びに来てくれたお客様は、映画『るろうに剣心』プロデューサーの久保田修氏。ともに走り続けているふたりが、京都のるろ剣撮影現場で語り合った。


大友啓史監督
(以下 監督)
「あのね、久保田さんて社長じゃないですか。クリエイティブとビジネス実務のバランスをどう取ってるんですか?十何年そういう立場でというのはどんな感じなんだろう。僕はフリーになったばかりなので、そこ凄く興味ありますねー」
久保田修プロデューサー(以下 久保田)
「まぁ、監督とプロデューサー(以下P)は立場が違うからクリエイティブといっても違いますが(笑)。継続は力なりじゃないけど、映画を作り続けたいんですね。いろんな監督といろんな映画やりたいから。それで継続して作るためにはどうしたらいいかなって思って、今までやって来ているだけなんですけどね、シンプルにいうと。映像を作りたいっていうのは一貫してあって、大学の頃は自主製作映画やってました。でも映画業界に入ったのは30歳過ぎてから。その前はねソニー・ミュージックエンタテインメントに居たんです。ミュージックビデオを作る部署に8年居ました。Pとディレクター(以下D)を半分づつやってたんです。その頃、岩井俊二さん※1と仲良くなって。会えば映画の話してね。それから岩井さんが映画界に進出していって作った『Love Letter』がヒットして。それが嬉しくて。岩井さんと三宿でおめでとうの飲み会をやったんですよ。そこで岩井さんから「今度『スワロウテイル』って映画やるんだけど一緒にやんない?」て言われて。どうしようかなーと思ったんだけど、結局ソニー・ミュージック辞めて『スワロウテイル』に参加した(笑)」
監督
「『スワロウテイル』って何年でしたっけ?」
久保田
「製作は96年。公開は97年。その後で、他の監督さんともやりたいと思って、『スワロウテイル』の幹事会社ポニーキャニオンに相談して契約することになって。その頃に犬童一心※2さんの『金髪の草原』作ったり、エドワード・ヤンの『ヤンヤン 夏の想い出』※3やったり」
監督
「こないだ久しぶりに『スワロウテイル』見たけど。いやあ~色あせないですねー。色あせないっていろいろ意味あるけど。例えば昔の大映映画はあの時代に創った凄さとか、完成された大人の映画の普遍性が十分伝わってくるんだけど・・『スワロウテイル』ってさ、普遍性とは違う未完成の危うさ、少年性にまつわる映画みたいな感じで」
久保田
「いろいろ突っ込みどころいっぱいあるしね(笑)。でもあれほどうまく思春期の少年少女を撮れる監督はそうそういない」
監督
「ですよね~。逆にね、大人になったときに見たい映画ですよね。映画創るとき、ビジネスかクリエイティブかってなったら、健全にそれらがせめぎ合ったときにそこそこのものが出来る気がするんだけど、あれ見ると、それを軽々と逸脱していった暴走のパワー、創るっていう行為の根本がグズっと刺さってくる瞬間がある」
久保田
「でもそれって時代的背景も大きくて。当時、岩井俊二と小林武史※4を持ってしても、女性ファッション雑誌は「ウチは邦画を扱いません」って1誌も取り上げてくれなかった。つまり、デートムービーとして邦画はあり得ない時代。日本映画が産業として成立してるとは言い切れない。だから逆に無茶がやれたんだね。それが2003年くらいから邦画バブルが始まって興行収入1位を普通に邦画が取るようになってきて産業化されて製作もよりシステマチックになってきた。いま逆に、『スワロウテイル』やろうと思っても、出資者もスタッフもキャストもついてこないんじゃないかな。だから、時代的なタイミングも大きいと思うなあ」

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